【ネタバレ】妹と共にまどマギ新編を観たら、もっと分かった
最早私の中で今年最大の名作映画となりつつある(といっても映画をこれしか観てないが。映画館で映画を見るのはお金がかかるので本来あまり好きじゃない)、「魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語」。
ええ、今日(11月1日)も観てきましたとも。もちろん、妹と。
いやはや、やっぱり面白かった。3回目だからもう面白くないかなあと思っていたが、
次から次へともやもやしていたものが晴れていき、気分が良い。
もっともそんな気分の良いわたしの私の横で、我が妹は涙を禁じ得ず、初日に見終えた人と同じ顔をしていたが。
普段あまりリピートをしない彼女(といっても恋人じゃねーからな(?)、あくまで妹だからな)が、「もう一回観たい」と言っていたので、銀魂の大ファンだったうちの妹もとうとうまどマギの魅力にとりつかれてしまったなヒヒヒヒヒ、と思う次第である。
我ながら悪い兄貴である。
さて。公開から1週間が経ち、様々なブログやメルマガで感想や考察がなされているので、
そろそろ私の拙いブログもその役割を終えるのかな?と感じている。
流石にいくら久しぶりにブログを更新したからといって、1週間丸々まどかマギカの話しかしないのでは、たとえばルービックキューブのことを知りたくてこのブログにやってきた人からしたら飽食もいいところであろう。
フレンチが食べたいのに中華料理のフルコースを出されたような気分を覚える人もいるのではないだろうか。
そろそろ自重しようかなあ、と思うけれど、今のわたしはまどかマギカで頭がいっぱいなんだからしょうがない(笑)。
それでも私の戯言にお付き合いくださるのならば、筆者としてこの上なく幸せである。
というわけで、例によって、以下ネタバレです。
といっても、流石に書くことは少ないが。
私の中で、あるひとつの疑問があった。
「そういえばほむらが作った結界のまどかは、なんだったんだっけな?」と。
幻のようにしては、だいぶはっきりとした自我を持っている。
前回のブログでもそのポイントはあまりはっきりと書いてなかった。とりあえず何の疑問も無く、「まどかはほむらの結界の中にいた」とだけ書いていた。
だが、あらためてキュゥべえの説明を聞くと、そこのポイントがはっきりとしたのである。
まどかは、概念として、なおかつ「円環の理」として、ほむらの結界の中に入ったのである。
「いや、俺は知ってた」
「そんなことも分かってなかったのかオマエ」
「アホ乙wwwwwwww」
すまんな。
やっぱり映像作品を一回だけ観て語るなんて難しいことだよまったく。
さて、とにかくまどかはソウルジェムが濁りきったほむらを救済しようとしたら、
インキュベーターの調整によって結界の中に入ってしまったのである。
その結果、彼女はほむらの内なる力によって記憶を書き換えられてしまい、自分が概念だったことを忘れてしまったのである。
結果あの世界で、まどかはまどかそのものとして、魔法少女である以外は普通の女の子として、あの結界の中で生活していたのである。
そしてあの世界において、まどかが本来「円環の理」であると知っているのは、さやかと、べべことなぎさ。
彼女たちはまどかが概念であると気がつくため、そしてほむらを救済するためのキーとして、あの世界で生きていたのである。
ところが、当のほむらは汚れを溜め込みすぎてしまった。
希望よりも厚く、呪いよりも深いもの—「愛」で彼女はいっぱいになってしまったのである。
その結果ほむらは「神」の作った秩序を蹂躙する「悪魔」となり、あの嫌な感じのハッピーエンドにつながってしまったのである。
これは一体だれのせいなのか。
まどかに対して「愛」という大それた感情を抱いてしまったほむらか。
まどかの存在を確認するために、そのほむらを利用してしまったインキュベーターか。
それとも、「愛」を持っていたほむらを置き去りにしちゃったまどかか。
新房総監督は、「答えはいくつもある」と言っていた。
このまどかマギカの世界において、何が悪なのか。その答えはたしかにいくつもあることだろう。
わたしは敢えてこの問題に、自分の正解をつくらないことにした。何でも箱推しするタイプだからな私は。
とにかく成り行きを見ていきたい。監督とプロデューサーが続編を作る気ならば、私はその流れへ乗っていこうではないか。
本編の話はこのあたりにして、話は「君の銀の庭」に入ろう。
やはりこの曲は名曲である。妹もこの曲を聞いて涙を流していたのだ。
では、この曲は一体どこが凄くて、どこが泣けてしまうのか。
前回の記事に捕捉する形で、私が感じたことを書きたい。
さて。前回の記事で、「君の銀の庭」ワルツ調でシンプルなメロディーが特徴だと書いた。
それによって曲には「やさしさ」を感じると書いたが、この曲に感じる「やさしさ」の特徴はそれだけではない。
Kalafinaの歌い方も、また「やさしさ」を感じるのである。
TV版の「Magia」が力強かったのに対して、「君の銀の庭」はやさしさを感じるのである。
そういえば総集編エンディングテーマ「ひかりふる」もやさしい歌い方をしていたが、こちらはアルティメットまどかの心情を反映しているから当然であろう。
対して「君の銀の庭」は、悪魔と化したほむらの心情に寄り添っている。
ほむらは本編内でこう言っていた。「まどかがそばにいてくれさえすれば良い」と、そして「この想いは、私だけのもの、そしてまどかだけのもの」と。
それをふまえた後で、この曲を聞くと、ものすごく変な気持ちになる。
前回で歌詞は書かないとしていたが、今回は例外として4小節だけ抜き出す。サビ(?)の歌詞である。
「静かに寄り添って 何処にも行かないで 窓辺で囀って 何処にも行かないで」
ね。これをほむらのことを考えながらやさしく歌ってると思ってごらん。恐怖と感動が混ざって、妙な気持ちになること間違い無しだ。
そういえばサウンドトラックもワルツが多かった。様々な考察ブログを読むと、結構「円舞曲」を作中に多数でてくる「円」のイメージになぞらえる人が多かった。
なるほど、梶浦さんがワルツを作ったのはそういうことだったのか。
「円」はすなわち、平和、そして、まどか—。
ああ、これでまた新たなる疑問が生まれてしまった。
より、まどかマギカ新編のことを分かりたい。そう思うようになってしまった。
また観たい。
一体私は、新編だけで何度観ることになるのだろうか。
たしかにわたしはTV版を20回は観て、総集編を映画館で5回観た。
たぶんこの新編も、お金と暇のある限り観てしまうことだろう。
ああ、本当によく出来たエンターテイメントだよ、まどかマギカ新編は。
やれやれ。まさかこの歳になって一本のアニメにどハマりするなんて。
訳が分からないよ。