Field of Ideas

ルービックキューブの日本大会で2度(2007年、2012年)チャンピオンになったことくらいがとりえの、社会の歯車によるブログ。

スピードキューブの来し方行く末 -1 2005年から2009年上半期まで-

どうも久しぶり。
予備校充なうなあまりmixiもツイッターも覗けてませんでした。
俺、早稲田に合格してキューブサークルに入るんだ…!
(落ちたら明治か法政でキューブサークルをこっそり作ります)
それから彼女をつくるんだ…正直今欲求不満できつい!

それはともかく。

暑くて眠れないので、スピードキューブの昔と今を
自分なりに振り返ってみようと思う。
というのもオレ、2005年8月31日に初めて自力で完成させてから、もうすぐ5年が経とうとするんだぜ。
それでもYumuより短いらしいのだけど。

5年前の世界トップレベルは、確かavgでもsub15がやっとだったと思う。
Mackyがavg14.5xくらいをだしていた頃。当時はsub13なんて人外の領域だと思われていただろう。
だが、2006年後半ごろからそれまでのゆっくり回し主体のスピードキューブから、
F2Lをほぼフルスロットルで完成させる人々が増えてきた。
Gungzさんもこの系統に位置づけられるだろう。
オレもこの手法をちょろっと採用したときに2006年10月にRAでsub13を捕獲してたんだぜ。
まあ、そのあとの日本大会で盛大にコケたが。仕方ないね。

で、2007年にはPBsub11がを捕獲した人(ご存知、北の大地の人)が現れた。
で、その人が「ゆっくり回しは必要ない」と言い切ったから
さらにフルスロットルF2Lの人々が増えていった。
俺は「フランスのシャンボン氏はsub12だけどゆっくり回しじゃないか」って思ってたからそうしていたけどw
まさか世界3位を取れるなんて思ってなかったよ!

2008年にはsub9を捕獲した人(これも北の大地の人が最初のはず)も出てきて、
一応の限界が見えてきたかのように思われた。
すくなくとも、当時のオレは思っていた。
当時のオレは勉強とビーマニしかやってなかったしw
北の大地の人がキューブから離れたのも、2008年後半期だったのではないか。
で、そのまま2009年までいってしまった感がある。
この年の世界大会のチャンピオンであるB.Vallance氏も
sub10とはいえ芸風はなんらクラシックなものであったし。

そんな流れも2009年が終わる頃に変わった。
ニュージーランドにとんでもないタイムをたたき出す少年が現れたのである。
そう、Feliks Zemdegsである…(続く)