パチンコで遊ぶのが嫌いである
全国のアンチ・パチンコに捧ぐ—
なぜ一部の人々は、パチンコというゲームに熱中するのか。
このことについて、私は答えを見つけられない。
好きでパチンコをやる理由がどこにあるのか、私にはさっぱり分からないのだ。
元来、私はギャンブルというものを信用していない。当たったためしがないのだ。
小さな配当のものが当たっても儲からない。むしろ他の賭けた分の損失を含めると赤字になる場合すらあるのだ。
大当たりを引くことが出来たとしても、そのお金をもっと多く増やそうとするとほぼ失敗するのだ。
ギャンブルはものすごい好運の持ち主でない限り、「しないが勝ち」なのである。
パチンコも同様だ。
まず、あたりを引くまでに、何時間もかかる。
台ごとにあたりの出た状況を確認して、「この台はきっと当たりが出るはず!」と思ってお金を銀魂、もとい銀玉に変えても、
全然当たらないのだ。
そしてなにより、決められたところに玉がいくようになるまでに時間がかかる。調節が大変難しいのだ。
おまけに釘の打ち込み具合によって玉の軌道が全然変わってくるから、そこを判断するのも非情に難しい。
そこまで細やかな観察を行って玉を打ちこんでも、思うようには当たらないのだ。
私がこういったことを書けるのは、ただ1度だけパチンコをやったことがあるからである。
パチンコをよく遊ぶ友人に連れられて、パーラーに入ったのだ。
最初は友人のプレイを隣で見ているだけだったが、そのうち自分の中にある疑念が湧いたのだ。
「パチンコって演出はすごくいいものがあるんだよなぁ。嫌な側面ばかりが目に付くけど、本当は面白いゲームなのかな?」
この疑問を解決する方法を思いつくのに、時間はかからなかった。
「まず自分でやってみなきゃ。失敗してもいい。これも自己投資のうちだ」
まず、1000円を銀玉に替えた。
台は「AKB48」。山勘で大当たりが出そうな台に座り、早速玉を台に打ち込んでみる......
20分後、私はすべての玉を失っていた。
ゲームセット。あまりにもあっけない幕切れだった。
私はより一層パチンコへの嫌悪を強くした。
なんだ、このゲームは。ギャンブルであるだけでなく、コストパフォーマンスも悪い。
20分で1000円が消えるなんて、学生の私にはどう考えても高い。
同じ20分ならば、音楽ゲームを2クレジットプレイする方が十分満足できる。
これで時間をかけて大当たりを引けたとしても、私は全然嬉しくない。
絶対に、損の方が大きいと思うのだ。
おまけに、パーラーの中がゲームセンターよりもうるさいのが気に食わない。
ただでさえ大きい筐体のBGMに、玉が落ちてくる音がけたたましく鳴るのだ。
子供の頃からこのような騒音を忌み嫌ってきたが、この歳になっても嫌悪感を覚えるのだ。
以上をもって、私は声を大にして言いたい。
「パチンコは、クソゲーだ」。
ああ、パチンコという単語を見ることすら厭になってきた。
「パチンコ」という単語が厭だ。ゲーム憎けりゃ名前も憎い。
こんな憎いものを文字として書く事すら厭だ。
しかし、これにも解決策があろう。
一文字を伏せ字にすることで、私が抱えるこの苦悩が軽減されるのではないかと思うのだ。
それも、私と同じ悩みを抱えるみんなが幸せになるような形で......。
「○チンコ」
「......やると思ったよ。」
てへぺろ(・ω<)
......もしかして「てへぺろ」って、もう古いのか?
※パチンコで遊ぶ人のことは嫌いじゃないです。