「秀才」でもなく「天才」でもなく、「普通」でもない私だから
今回は続き物を中断して、いま自分が抱える悩みについて書こうと思う。
「オマエも悩むの?」とか言われそうだが、そりゃあ私だって他人より大幅に出遅れた21歳を自覚しているから、人並みには悩んでいるのだ。
特に、ここのところは悩めることが重なりすぎて、正体不明の怪物と化してしまいそうなのである。
悩みの大半はそれこそブログに書くようなものではないのだが、最近これから自分が自立していく上で、ちょっと枷になってきたな、と思うことがあるのだ。
私と席を同じくした人ならよく知っていると思うが、私はいわゆる「秀才」ではない。
ある程度成長してもなおノートは落書きばかりだったし、興味の無い話はほとんど聞かなかった。そして睡魔にすぐ屈する。
本人はやる気があるつもりだから始末に負えない。やる気の大半は自分の好きな事ばかりに費やすのだ。
そんな風だから、たとえどんなに私がペーパーテストの出来を良くしても、成績通知表に書かれる先生の評価は点数に見合わぬものとして出てくるのだ。
今思うと、こんな大変な生徒を持たせてしまって、歴代の担任の先生には多大な苦労をかけてしまって申し訳ない、と思う。
そんな私も大学に入ってからアルバイト(正確には、派遣の仕事)を初めたことで、ようやく気がついた。
今の日本で生きやすいのは、学校の成績がいい人ではないか、と。
働くというのは一般的に「仕事とその対価を出してくれている人の元で、その人のために仕事をする」ということである。
「学校で教師の言うことにしっかり従えられる」ということは、「クライアントの期待に応えられる」ということに繋がるのだ。
だからこそ、学校はそのような人間を育てる機関として存在しており、その中で成績のいい人が、おおよそ「仕事のできる」人となるのだ。
もちろんここでの「成績のいい」とは、ペーパーテストの出来に限定しない。教師からいい評価を貰えることも、そうなるように勤めることも、「仕事ができる」ことにつながるのだ。
私はその点でいまひとつ人より劣っていたために、できる仕事が狭まっている。
私は21歳にしてこういうことにやっと気がついたのだから、始末に負えない。
どんな社会的なクズでも、何かとりえがあるのだったらいい。
たとえば絵の才能を中学生の頃からアニメの原画レベルで発揮していれば、必ずどこかで誰かが評価をし、お金を出してくれるはずなのだ。
今は亡き尾崎豊のように曲作りと歌の才能があれば、たとえ高校を素行不良で退学になったとしても、ソニーがスポンサーとして付き、強力なミュージシャン達が彼をサポートしてくれるのだ。
学歴が無い人でも学術研究に特化したものが見られるのならば、学会などで評価されて大学の研究所に招かれることだってあるのだ。
ところが、私にはそのようなものが無い。
「あるじゃん、ルービックキューブを人より早く揃えられるじゃん」と言うかもしれないが、それに対する反駁が存在する。
「それで食えると思っているのか?」と。
以上の例はみな、才能を生かして「生計を立てている」のだ。
私の特技であるスピードキューブでは、それが出来そうに無い。
「キューブでも生計立てられる人がいるじゃん、たとえばtriboxはそうじゃないか」と思う人がいるかもしれないが、
私はtriboxのスタッフとは違い、キューブ界に貢献しながら生計を立てるということが、残念ながら出来ないと思う。
ショップを開けるだけの地盤やコネクションも無ければ、より良い商品を届けるための技術も無いのだ。
そうでなければ、スピードキューブ一本で食って行くなんて無謀である。せいぜい年収5万が限度なのではないだろうか(世界大会の賞金は獲得難易度が非常に高い上に費用対効果があまり良く無いので除く)。
それにもかかわらず、私が現時点でモノになったのがルービックキューブを早く揃えられること「だけ」という事実が痛いのだ。
たしかに私はひとつのものでまあまあ成功した。その点で私は「普通の人ではない」という証明になるだろう。
しかし、それだけでは碌に自活が出来ない。
このまま役立たずで終わってしまうのが非常に嫌であるから、私はこのブログを立ち上げた。
私が人より出来そうな事で、将来にも繋がりそうなことといえば、「文章を書く」ことくらいだからだ(「音を紡ぐ」、つまり曲作りもまあ得意だが、それはまた別の話)。
それでもまだ他の人より拙い部分はあるだろうと思う。何にせよ、私は才能も人よりない上に、勉強不足なのだ。
今後一年はスピードキューバーとしての活動を休止して、人の何十倍もの勉強量をこなし(もちろん大学での勉強が主軸となる)、どうしようもないクズの私でも生計を立てられる術を見つけなければならないと思っている。
アルバイトをしている暇すら無くなるだろうから、ムダな出費は出せない。
以上の理由を持って、今後大会への参加は殆どしなくなるだろう。世界大会なんてもってのほかだ。
このブログに書くようなことでは無いが、普段能天気な私がそのように思わなければならないほどに、私の置かれている状況は重いのだ。
「どうでもいいけど、長いよ。オマエの自分語りなんて需要無いだろ。」
...自覚はある。